『まじよめ ショートストーリー 文匂編』

その部屋は仄かな畳とお茶の香りで満たされていた。正面には微妙な笑みを浮かべている文匂ちゃん。突き上げ窓の横には『大艦巨砲主義』と書かれた掛け軸がぶら下がっている、ここは学園の書道室──

『逢魔クン……諦めるには早いですわ!』
『い、いやもう無理……』

俺は恨めしげに文匂ちゃんを見つめる。

『えと……私はですね、ラフルちゃんを治したい、その一心で……』
『……』

文匂ちゃんは申し訳なさそうに俺から視線を外すと、弁解をはじめる。
うん、でもやっぱり相当な状況だと思うんだよね。

『文匂ちゃん、俺の代わりにやってくれないかな?』
『……その、私がやったところで力になれそうもありませんわ』

『文匂ちゃんが一緒に押してくれたら動くかもしれないじゃん』

『……』

『ずっとこうしている訳にもいかないでしょ?』

俺の言葉に文匂ちゃんは小さく呻き、頭を抱えて考え込んでしまった



『仮に……二人でやるとして、その……動き始めちゃったら……大変な誤解をされますわよ?』

今から、遡ること少し前──


俺は文匂ちゃんに誘われて書道室に来ていた。学校の書道室は茶室も兼ねており、文匂ちゃんは俺にお茶を淹れてくれた。香りに誘われ、何も考えずに一気に口の中に流し込んだ──のがそもそもの間違いだった。

飲み込んだ後に気がつく。お茶とは全く違う味。
ヤバイと思ったが時すでに遅く、腹の中でなにかが爆発していた。

…ゲホッ! ゲホッ!!! クソ、なんなんだよっ!!』
『コホンッ! コホッ! あ、あれ……おかしいですわね……』

──それは俺の口から粉状となって零れだして、キラキラと輝きながら空気と混ざり合った。
そしてあっと言う間に部屋中に、コロニーを形成していった。

明らかな異変に気がつき始めたのはこの辺ぐらいだったと思う。

身体がどんどん重くなって、あぁ、この表現も的確ではなくて……えー、『空気に引っ張られ、身体が動かせなく』なって……。
俺は何とか動こうと懸命に身体をひねった。


その拍子に畳の縁に躓いて思い切りつんのめってしまった。
だが、驚くことに──今度は俺は空中に浮いたままの姿勢で固まってしまう。

『?? なんだ、これ!?』
『わ、私も……』

文匂ちゃんも同じ状態になって困っているようだった。
俺は必死に今の状況を頭の中で整理しようとした。

『えっと
お……逢魔クン! ごめんなさい!』

何の脈絡も無い文匂ちゃんのセリフ。
更に状況が飲み込めなくなって、訳がわからなくなっていた。

『へ?』
『多分、こうなった原因は……私ですわ』


先日ラフルの七変化で調合に自信を持てなくなっていた文匂ちゃんは、魔神の肉体なら薬の調合を失敗しても大事にはならないと踏んで、俺で実験をすることを思いついた。一旦は自分の考えを否定したが新調合した薬を見ているうちに我慢できなくなり、ついお茶の中に調合した薬を入れてしまったらしい。悪気は全く無いそうだ。

ま、あれだ。
立派な人体実験をありがとう。

俺が本気で問題にしていないのは、相手が文匂ちゃんだからだ。
そういう配慮ができる人だったら、そもそもこんな事にならない訳だからして。

……さてと。

思考を切り替えて、この体勢から抜け出す方法を考えることにしよう。
何をするにも無理があるポーズと思うし、実際のところ、相当格好悪いと思う。

ギチ……ギチ……。

俺は試しに空中で身体ひねって暴れてみた。
う、動け……うう、ぬおお……ッ!

ギチギチ……。
……ビリッ!!

……。
損害はシャツの右腕が破れたことと、既に折れそうになっている心。

俺は指を床に滑らせつつ、何とかならならないものかと考えてみる。
ふと文匂ちゃんに視線を向けると、不思議そうな顔で俺の右手を見つめていた。

『逢魔クン、それ……おかしいですわ』
『ん? あ、あれれ……?』

言われてみれば確かに、変だ。
袖から出ている右手は、自由に床を触ることができている……。
……つまり。

首を傾げながら右手を凝視していると、突然文匂ちゃんが素っ頓狂な声を上げた。

……逢魔クン! これって私達以外の時間が、止まってるんですわ!』

……なぜだか嬉しそうな文匂ちゃんの声。
話の続きが気になった俺は、顎を小さく動かして先を促した。

『私が作っている薬は『魔力を打ち消す為の薬』だと言うことは、おわかりかと思うのですけど……』
『今回の調合では……溜まっていた魔力を開放してしまったようですわ』


『ってことは……?』

『逢魔クンの身体に蓄えられていた魔力の一部が、部屋に溢れたのですわ』

そう言った文匂ちゃんは、ウンウンと一人で納得している。

……。
魔力が開放されたら、なんで時間が止まるの?

『理屈がさっぱりわからないよ、文匂ちゃん』
『えーとですね、この部屋は今、非常に高密度の魔力が充満しています』
『この世界に存在しない『魔力』で満たされていると言うことは、この世界で存在していないことと同じなんですわ』
『存在していないもので空間を満たせば、時間自体も流れることができませんからね』
『……ちょっとまってよ』

ハハハ。
そんな馬鹿な。

『だったら……そうだ、うちらも動けないはずじゃん』
『私は逢魔クンの魔力を思い切り吸いこんでしまいましたし、逢魔クンは元から魔族ですから……』

『うーん、ま、いいか。で、この後は俺たちってどうなるの?』
『この世界、時間の流れはもう止まってますから……このまま?』

……このままって、おいおい。

えーと、どうすればいいのかなぁ。

……。

『要は部屋に満たされている魔力の濃度が薄まれば、時間の流れも元通りになるってことかな?』
私の仮説が正しいのでしたら、そうなりますわね』

『つまり、あの
…書道室の扉を開ければ、大丈夫ってこと?』
『そうですわね……あ』

ここで、文匂ちゃんも何かを思いついたらしく、微妙な表情を浮かべる。

『ハッキリ言ってくれない? 文匂ちゃん』
『え、と……えと……』

バツが悪そうに顔を逸らし、言いかけては黙る、そんな仕草を文匂ちゃんは何度か繰り返した。
そして……次の瞬間、とんでもないことを言い出した。

『逢魔クン。えーと…』

『その形で固定されているのはあくまで、お洋服なので
すから……』
『お洋服を全部脱げば、扉まで動けると思いますの』

……。

コンチクショー!
なんの羞恥プレイだよ、一体!

結局、俺は文匂ちゃんの前で全裸になって、扉と格闘することになった。
ちなみに格闘はしたが、言うまでも無く扉はビクともしなかった。

部屋の中からは絶対開かないと思う。
うう、それにしても……恥ずかしい……。


──そして、時間は(今現在に)戻る。


『パパっと脱いじゃってドア開けて、すぐ服を着れば大丈夫だよ』
『確かに……一人で無理でも二人だったら開くかもしれませんし……』

文匂ちゃんは覚悟を決めた様子で、ブラウスのボタンを外し始めた。服は空間に固定されているので形状を維持したままだ。俺は鼻を伸ばしながら文匂ちゃんの胸元を見ていた、その時──

……ガラッ!
突然扉が開き、目の前には口をあんぐりと開けたみづはが立っていた。


『逢魔、ここに居たの……って……キャアアアアアッ!! な、なにやってんの!』

悲鳴が廊下中に鳴り響く。
いや、あの、ちょっと……っ!!

確かに……この部屋以外は普通に時間が流れているわけですから、外からは簡単に開けることができますわね』

慌ててボタンを留めなおした文匂ちゃんが、俺の方を見て申し訳なさそうに呟いた。
みづはが鬼の形相を浮かべながらこっちに近づいてくる。

全裸の俺は股間を両手で押さえて立っていることしかできなかった。

『そういう大事なことは……先に言ってくれ……